プーチンとロシア人を読みウクライナ戦争を理解する

プーチンとロシア人を読んで

なぜロシアのプーチン大統領はウクライナを侵攻したのか

 なぜロシアのプーチン大統領はウクライナを侵攻し、未だに闘いに拘っているのか、徹底した力による現状変更が平気なのか、長期にわたり絶対的な権力を維持する状況下、ロシア国民はなぜ、独裁的ともいえる彼を支持するのか。ロシアの国民性や背景を理解することはとても大切な気がします。
 ロシア研究の第一人者により、ロシア人の国民的な性格を踏まえ解説本を読んで納得することもありましたので、以下ご披露します。

「プーチンとロシア人」の要旨

  • ロシアは天然の障壁で守られていない大陸国家であり、外敵との攻防に明け暮れてきた。また、冬が長く、積雪が多いなど気候条件が厳しい。この過酷な自然的要件は、「自然を恨んでもどうなるものでもない。長いものには巻かれろ」という感情をロシア人の意識の中に育んだ。
  • ロシア的国民性の特徴は、相反する2つの衝動を持つことだ。彼らは、何者の束縛も受けたくないという自由志向の衝動を抱く一方で、こうした衝動に身をまかせれば社会は混乱し、自己破滅すら導きかねないのではないかと危惧している。
  • 社会の混カオス沌を恐れるロシア人は、自由の一部を政治権力へ譲り渡すことに、渋々だが同意する。それ以外に、広大な地域を外敵から守り、秩序を保つ術すべはないと観念しているからだ。
  • ロシア人の国民的性格を背景に、ロシアではツァー(帝政君主)が絶対的権力を持つ専制主義が進んだ。また、権威に対して絶対的服従を捧げることを義務づけるギリシア正教の教えなど、ビザンティン文化の影響も色濃く受けた。
  • プーチン大統領は、腕力に秀でた者が幅を利かせる「通り」で育った。ここで彼は、「力の強い者だけが勝ち残る」「何が何でも勝とうという意志が肝要」「闘う場合は最後まで闘わねばならない」という3つの教訓を学んだ。
  • クリミア半島併合の際、プーチンは“柔道型”外交を採った。これは、欧米人が愛好する、駒を順番に動かす“チェス型”とは異なり、相手側に隙があれば攻勢に出るやり方だ。

背景――地勢的環境

 ロシア研究を進める場合、とりわけ肝要なことは、ロシア人のものの考え方と行動様式の特徴をつかむことです。端的に言えば、「ロシア人の研究」が出発点とならねばならないわけです。

広大な空間

 ロシア人の国民的な性格を形づくる諸要因の中でもとりわけ重要なのは、自然的要件です。ロシア連邦の国土は、地球の全陸地の約8分の1、中国や米国の約2倍の大きさです。文字通り世界一の国土面積なのです。広大な地勢的要件は、ロシア人のメンタリティー形成に大きな影響を与えていると考えられます。

 大洋や河川、険しい山脈などの天然の障壁で守られていない大陸国家であることです。ロシア民族は「無防備の大草原」に棲息しています。広大無辺な領土は、外敵によって侵入されやすいのです。実際、ロシアはモンゴル、ナポレオン、ヒトラーなどの外敵との攻防に明け暮れました。

ロシアの森がロシアの心をつくる

 ロシア人の精神に強い影響を与えている自然的要件として、森林もあげるべきでしょう。
 私たちがトルストイの文学作品などから連想する、美しく絵画的な白樺林ばかりが、ロシアの森ではありません。ロシアの森はもっと暗くて不気味だそうです。
 いったん迷い込んだら、二度と生きては出てこられない底なし沼の深さを秘めているそうです。だからこそ、ロシアの森林は、ロシアの農民たちが遊牧民たちの侵入から逃れるシェルターとなりえたと解かれます。

 ところが森でも、弱肉強食の「ジャングルの掟」が支配します。つかの間の暖をとっている時も、人間なり野獣がいつなんどき樹木の背後から襲ってくるかもしれないのです。このような不安に絶えず怯えていなければならない背景があります。

厳冬も性格形成のルーツの1つ

 ロシアは緯度の高い北寄りに位置しており、気候条件が厳しいのは良くお分かりでしょう。冬が長く、積雪が多いです。

 半年以上も続く冬は、ロシア人の意識の中に次のような感情を育みます。
 人生は、毎日が闘いの連続。しかも、その闘いで人間の勝ち目はない。自然を恨んでもどうなるものでもない。

長いものには巻かれろ――

 ロシア人の国民的性格と政治では、前述した地理や気候などの諸要因から、どのようなロシア人の性格が形成されたのでしょうか?

ロシア人にひそむアナーキズム

 ロシア的国民性の特徴としてまずあげるべきは、互いに矛盾する2つの欲求の同時存在です。

 1つの欲求は、ロシア人が何事からも束縛を受けたくないという強い気持ちを抱いていることだそうです。
 ロシア人は、どのような外部からの束縛も受けずに己の心身を伸ばしたいと望む欲求が、他の諸民族に比べて強いそうです。

 このような希求は、政治思想としてはアナーキズム(無政府主義)の土壌を育むことになります。しかし、心身を自由に伸長したいという欲求ばかりがロシア人の特徴なのではありません。この衝動のかたわらに、奥深い不安感がひそんでいるのです。

自由に対する不安

 その不安感とは、拘束を極度に嫌う己の内的衝動を抑えないで放置するならば、一体どうなってゆくのか自分にもわからないといった懸念に他なりません。
 つまり、ロシア人は一方で飽くことなく自由を希求しながら、他方では果たしてそれでよいのかと心配しているわけです。

 ロシア人は相反する2つの衝動を持ち、2つの本能と闘っていると言えるでしょう。

 すなわち、一方で何者の束縛も受けたくないという自由志向の衝動であり、他方、そのような衝動に身をまかせて自由欲求を充足すれば、社会には無秩序と混乱がはびこり、自己破滅すら導きかねないのではないかという危惧です。

 例えば、プーチンの強権的な政治を国民が概して支持している理由は、ゴルバチョフ、エリツィンという二大前任政権下にロシアが一部自由化したこと自体は良かったものの、その代わりに社会全体は大混乱に陥ったという苦々しい体験に基づきます。
 もし今日、「あなたは、自由、規律のどちらを望みますか」と尋ねられれば、後者と答えるロシア国民は80%台にも達するでしょう。

「巨大病」癖

 ロシア人の国民的性格の特徴としてもう1つあげたいのは、「巨大病」癖です。
 広大無辺の土地、人間を圧倒する厳しい気候、弱肉強食のジャングルの掟が支配する森林、等々。

 これらの自然条件は、ロシア人に自己を超える圧倒的に強く、巨大なものの存在を教えました。逆に、個々の人間がいかに小さく、無力で、卑小であるかということも教えました。小さな個人は、巨大な存在に対して刃向かっていっても、しょせん勝ち目はなく、だとすれば、むしろ巨大な存在に服従し、同一化さえしました。
 こう思い込む方が、気持ちがはるかに楽でしょう。

 このようにして、自己に比べてより大きいもの、より一層強いものに対する恐怖が転じて、絶対的な崇拝や憧憬の気持ちが形づくられます。

自由の一部を移譲

 こうしたロシア人の国民的性格は、ロシアの政治の実態にどのような影響を及ぼしているのでしょうか?

 ロシア人は自由への強い衝動を持つと同時に、その衝動に身をゆだねるならば、社会は混沌に支配されるかもしれないという懸念も抱いているようです。そのため、ロシア人は自由の一部を断念し、強大な政治権力へ譲り渡すことに、渋々ではあるが同意します。

 こうする以外に、広大な地域を外敵から守り、ロシアに秩序を保つ術はないと観念しているからです。治められる側がこう考えているくらいだから、治める側は推して知るべしでしょう。

 ロシアの治者は専制主義、つまり絶対なる権力を一個人へ集中し、統合する以外に、ロシアを治める手立てなし、こう固く信じ込んでいる気がします。

ツァーに対する無条件的服従

 こうしてロシアでは専制主義が進みました。ロシア式専制たる「ツァーリズム(帝政君主制)」の政治的特色は、ツァー(帝政君主)の絶対的権力、裏返せば社会のそれ以外の者のツァーに対する無条件的臣従を要請する点にあります。

 「社会のそれ以外の者」とは、人口の90%を占める農民のことを指しています。
 ロシアでは、中産階級はとるに足らない存在にしか成長しませんでした。

 ひと握りの貴族・士族階級層は、ツァーをとりまく特権グループとして、ツァーに絶対的忠誠を誓いました。ツァーリズムの終末期にロシアを訪問したあるイギリス人旅行者は、次のような観察を記しているそうです。
 「ロシアではツァーがすべて。ツァーの土地および臣民はツァーの意のままに処分される」

ビザンティン文化の影響

 ロシア人の性格やロシアの政治を語る上で、ロシアの歴史的経験も見逃すことはできません。その1つとして、ビザンティンの影響があげられます。

 古代ロシアが、東ローマのビザンティンの文化圏と接触した歴史的事実です。ロシアは、ビザンティンから宗教、文化、思想などを受け入れました。
 例えば、ロシア人は自己の宗教としてローマ・カトリック教でなく、ギリシア正教を導入しました。

 また、ロシアは、ビザンティン帝国から政治的な影響も色濃く受けました。特に注目に値するのは、ギリシア正教による次のような教えです。

 ギリシア正教は、あの世において天たる神に仕えるように、この世においては地上のツァーリ(帝政君主)に仕えよと説かれ、地上の俗世界では政治的支配者、すなわちロシアではツァーがあらゆる者に優る支配者であると。
 人々はあたかも天の主に仕えるのと同じく、この地上の権威に対して絶対的服従を捧げることが義務づけられます。

 このような教えにより、ギリシア正教は、ロシアの専制主義に基づく帝政制度の確立に貢献する理論的根拠を与えたのです。

 現プーチン下のロシアで、準権威主義的な政治体制が維持されている1つの理由は、ロシア国民が他国には見られないほど権威というものに対して従順だからです。ロシアの歴代指導者たちは、このような歴史的経緯がもたらした人民の従順な態度によって支えられていたのです。

プーチンと外交

 プーチンは、典型的なロシア人といえます。というのも、彼は「“力”の相関関係」を何よりも重視する人生観の持ち主だからです。

プーチンの生い立ち

 ウラジーミル・プーチンは、1952年にサンクト・ペテルブルクに生まれました。
 当時、プーチン一家が住んでいたのは、ペテルブルクの共同住宅の一部屋(20平米)だったそうです。台所もトイレも共用ということでした。

 プーチン少年(愛称ボロージャ)は、狭い自宅を出て、戸外の「通り」で時間を過ごすことが多かったそうです。当時の通りは、ジャングルの掟が支配する世界でした。つまり、腕力に秀でた者が幅を利かせ、縄張りを仕切るわけです。そのような世界にあって、ボロージャはロシア人としては小柄で、いじめられる存在だったそうです。

 プーチンは、インタビューでこう語っています。
 「私は子供の頃、『通り』で育ちました。通りには独自の厳しい掟がありました。何か揉め事が起きた時にはつかみ合いの喧嘩です。そして、はっきり言えば強い者が正しい、ということになるのです。その頃の私の周りの世界でいい顔をするために、私は色々な方法で体を鍛えようとしました。小柄でしたから柔道に辿りついた訳です。」

「通り」で学んだ闘争哲学

 「通りは、私にとって『大学』だった。そこから、私は教訓を学んだ」。
 そう語るプーチンが獲得した教訓とは、次の3つでした。

  1. 力の強い者だけが勝ち残る
  2. 何が何でも勝とうという意志が肝要
  3. 闘う場合は最後まで闘わねばならない

 この3原則からなる教訓は、チェチェン系武装勢力のテロ活動との闘いにおいても実践されました。
 2002年10月に「モスクワ劇場占拠事件」が発生した時、プーチン大統領はチェチェン系占拠グループたちとの話し合いを頭から拒絶し、特殊部隊に同劇場の急襲を命じた。結果として129名もの人命が失われました。
 プーチンは、人質の安全確保よりも、チェチェン武装勢力に対する「徹底的な闘い」の方を優先させました。

 つまり、プーチンは「弱い者は必ず負ける」という己の政治的信念に基づき、世論に対しても一切譲歩しません。
 これは、プーチンが「通り」で得た哲学の実践といえます。

米国流「一極主義」に反対

 プーチンの外交戦略とはどのようなものなのでしょうか、一言でいうと、国際舞台でロシアの影響力を増大させ、ロシアの存在感を高めることです。
 そのためには、何よりも米国による「単独一極主義」的国際秩序の構築を阻止することが至上命題になります。

 具体的に言えば、先進7カ国(G7)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)の力を弱体化させることです。そして、ソ連構成共和国だった国々(例えばウクライナ、ジョージア)がNATOやEUに加盟し、ロシアとEUとの間の「緩衝地帯」を失わないように全力を尽くすことなのです。

「柔道型」外交

 プーチン大統領が2014年、ウクライナのクリミア半島を併合した時、欧米諸国の研究者たちは、プーチンが「柔道型」の外交行動を採ったがゆえに勝利を収めたと評しました。
 彼らが強調したのは、プーチンが、欧米人が愛好する「チェス型」の外交とは異なるやり方で勝負を挑む点でした。

 チェスでは、まず、プレイヤーのどちらが先に最初の手を打つかを決め、その後、駒を順番に動かします。
 ところが柔道では、いつどちらの側から攻めてもよく、相手側に隙があれば攻勢に出ます。
 プーチンがクリミアを併合した時の電撃作戦は、まさしく「柔道型」の行動に他なりません。

 当時、ウクライナ政府はマイダン革命後の新しい政権固めに精力を集中している最中で、クリミア半島にまで注意を払い得ませんでした。
 欧米諸国も同様でした。そのようなどさくさ紛れを利用して、プーチン政権は「自警団」を半島に送り込んだのです。
 その武力を背景にして、クリミア自治共和国にロシア憲法違反の住民投票を実施させ、併合賛成の体裁をつくり上げたのでした。

 ちなみに、第二次世界大戦終結後のどさくさ紛れを利用して、スターリンが日本から北方領土を奪った手法も同種のものだったのは周知の事実です。

書籍案内

  • 「プーチンとロシア人」
  • 木村 汎 著(きむら ひろし)
  • 潮書房光人新社(産経NF文庫)
  • 2020年10月19日発行/337頁
  • 990円/ISBN978-4-7698-7028-9

主要目次

  • 1章 背景
  • 2章 性格
  • 3章 政治
  • 4章 外交
  • 5章 軍事
  • 6章 交渉
  • 7章 連続
  • 8章 労働
  • 9章 技術
  • 10章 社会

著者紹介

1936年生まれ。京都大学法学部卒。米コロンビア大学Ph.D.取得。北海道大学および国際日本文化研究センター名誉教授。
『遠い隣国――ロシアと日本』(世界思想社、2002年)で第14回アジア・太平洋賞大賞を受賞。第32回正論大賞受賞。
著書として『ソ連とロシア人』(蒼洋社)、『ソ連式交渉術』(講談社)、『プーチン主義とは何か』(KADOKAWA)、『プーチン 人間的考察』(藤原書店)など多数。2019年11月、歿。

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