東出昌大謝罪会見から学ぶ危機状況コミュニケーション

2020年4月1日

東出昌大謝罪会見から学ぶ危機状況コミュニケーション

危機状況コミュニケーション巧拙は運命を分ける

 コロナウイルスで危機が露わになっている昨今ですが、2020年3月17日、唐田えりかさんとの約3年にわたる不倫騒動後、東出昌大さんが初めて公の場に登場し、記者たちの囲み取材に応じて謝罪したことで、多くの反響が見られました。

 その中には、「東出『お答えできない』連発」「『やらないほうがよかった』会見の評判」といった否定的な記事が多く、読者のコメント欄にも「人ごとのよう」「はぐらかしていた」「妻より浮気相手のほうが好きなことがわかった」などの否定的な声が多数派でした。

 しかし、人間関係のコンサルタントでありクライシスコミュニケーション(危機管理広報)専門家から見たら、東出さんのコメントは「今できることを最大限の配慮でやり切った」、そつのない受け答えだったということでした。

 当方では本件話題に興味が強いわけではありませんが、危機的な状況のコミュニケーションとして、とても参考になるところが多かったので、以下に記事内容を転載させていただき、何かの時の参考の備忘にさせていただきたいと考えています。

東出昌大の謝罪会見に見えた慢心と聡明の矛盾

「お答えできない」連発は本当に失敗だったか
木村 隆志氏 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者
https://toyokeizai.net/articles/-/337945

「誰のために謝るの?」を真っ先に

批判の声にあったように東出さんが「お答えできない」というフレーズを多用したのは間違いありません。しかし、東出さんは冒頭から、そういう話し方になることと、その理由を記者たちに伝えていました。

まず「この度は、お仕事の関係者のみなさまに多大なるご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」と謝罪しつつ、「最も謝罪しなければならないのは『妻に対して』だと思っております。妻には直接謝罪の気持ちを伝えてまいりたいと思います」と、真っ先に自分が謝罪すべき相手を明言しました。これで「けっきょく誰のために謝っているの?」という謝罪時に批判されがちな要素を1つ排除することができていたのです。

さらに東出さんは「いろいろなお仕事の関係から、このような機会を設けることが遅くなりました」と公の場に出るのが遅くなった理由を簡潔に話しました。主演ドラマなどの事情があったはずですが、言い訳がましく長々としゃべることを避け、それよりも「今日カメラの前で私が何かを発言することによって、これ以上妻を傷つけたくありません。ですので、お答えできることに限りがあるとは思いますが、よろしくお願いします」と、再び妻を最優先したい意向を明かしたうえで、深々と頭を下げたのです。

続いて東出さんは記者たちからの質問に答えました。最初の質問は「妻の杏さんと話ができたか?」。東出さんはドラマの撮影が終わったあとに話ができたこと、その話し合いが今後も続くこと、具体的なことは何も決まっていないことを明かしました。

すかさずある記者が「夫婦生活を続けていきたいのか? 離婚の方向にいくのか? どちらだと思うのか」と続けると、東出さんは「先ほど申し上げたことと重複しますが、今日カメラの前で私の希望や意思をお伝えすると、テレビを見た妻を必ず傷つけることになってしまうので、申し訳ありませんが今はお答えできません」と神妙に語りました。記者が続けざまに「関係を修復したいか?」と畳みかけても「申し訳ありませんが、お答えできません」、「杏さんはどういうお気持ちなのか?」と食い下がっても「彼女の発言やそのときの雰囲気を私が今ここで代弁することはできません」と繰り返したのです。

また、浮気相手の唐田さんに対する「今でも好きなのか?」という質問にも、「申し訳ありませんが、お相手のこともあるので。私の心の内を今ここでしゃべることは妻を傷つけることになると思いますので、申し訳ありません」と妻への配慮を優先させました。

子どもへの思いが最も冗舌だった理由

これらのコメントは「逃げている」というより、本当に杏さんへの心理的影響を考えてのことでしょう。今の東出さんが何を言っても杏さんの負担になると思い、それを避けるために「逃げた」と自分がさらに批判を受けるほうを選んだのです。

そもそも今回のように謝罪すべき内容が知れ渡っているケースでは、正直に話したほうが「記者たちの追及を想定レベルで止められる」など楽であり、“イメージダウンの下げ止まり”を作れるもの。また、これだけいろいろ報じられていれば、その内容がすべて真実ではなく、釈明したいところもあったでしょうが、グッとのみ込んでいる様子が伝わってきましたし、「妻を最優先に考えて批判されることに徹する」というワンスタンスは、公開謝罪の場としてはベターなものでした。

東出さんは子どもたちに対しても、「裏切りから一生消えない傷を負わせてしまったと思います。妻と子どもたちから、私の過ちでさまざまな幸せを奪ってしまいました」と後悔の念を話しました。

記者たちを驚かせたのは、「(子どもたちとは)別居してから会えていません。しかし、毎晩のようにビデオ通話をしてくれて。子どもはまだ小さく携帯電話の操作ができないので、妻が代わってしてくれています」というコメント。これで記者たちの「ここを掘り下げろ!」というスイッチが入り、東出さんは子どもたちへの思いを語ることになりました。

「どんなやり取りをしていますか?」に、「詳しくは申し上げられないのですが、子どもたちの姿は『かわいいな』という思いと、『申し訳ないな』という気持ちの両方を抱きます」。

「子どもの声を聞くと、父親として感じることもあるのでは?」に、「まだ子どもは小さく、事態をすべて把握しているとは思いません。ただ私がこういう仕事をし、妻がこういう仕事をし、子どもたちが大きくなったら、父の犯した過ちをいずれ知ると思います。自身の犯した過ちを後悔しない日はありません。ですが、子どもたちが大きくなった時に、これ以上情けない思いをさせないように、今後の日々は最善を尽くしながら生きていこうと思っています」。

このコメントは囲み会見の中で最も冗舌に見えました。その理由は子どもたちに対しての思いはもちろん、子どもたちのことを最優先に考えて話す機会を作ってくれる妻への謝罪と感謝、さらには決意表明だったのではないでしょうか。

「おごりと慢心の公私混同」がリスクに

ビジネスパーソンの学びになる部分は、これ以降のコメント。「どうして過ちを犯してしまったのか?」という質問に東出さんは、「仕事でも、私生活でも、おごり、慢心、そのようなものがありました」と率直に自分の愚かさを認めました。

また、「バレないという気持ちがあったのか?」という質問に「本当に自分勝手でした」、「バレて『会わない』という約束をしたあとも関係を続けた理由は?」という質問に「やはり自分のことしか考えていなかったんだと思います」とコメント。「言い訳を一切交えず、自らをひと言で断罪する」という受け答えは、謝罪会見の基本と言えるものです。

芸能人に限らず、仕事の実績が上がっているときほど、自分に自信がついて「周囲より能力が高い」と感じるときほど、おごりや慢心を抱きがちであり、それは往々にしてプライベートにも波及するもの。「公私はきっちり分けている」と自負している人でも、仕事時の自信あふれる振る舞いをプライベートの場でもしてしまい、おごりや慢心を感じさせる人は少なくありません。「自分は仕事ができるからこれくらいのことは言ってもいいだろう」「仕事で実績を挙げているから不倫くらいしてもいいよね」という公私混同がトラブルの起点となってしまうのです。

また、東出さんのような芸能人に限らず、一定の成功を収めているビジネスパーソンも、周囲からはおごりや慢心の公私混同をつけ込まれやすい立場。週刊誌から追われるほどの有名人でなくても、社内や業界内でのリーク、なかでも真偽の入り混じった誹謗中傷を吹聴されやすい立場であり、「アッという間にその立場から追いやられてしまう」というリスクは自分で思っている以上に高いものがあります。

余談ですが東出さんは、歴史、将棋、落語などに精通し、専門番組やドキュメンタリーへの出演も多いなど、インテリとしての一面を持つ俳優でした。この日の会見でも言葉づかいの1つ1つに間違いはなく、俳優としての評価とは別に、聡明なイメージを持つ業界人が多かったのです。しかし、そんな聡明なイメージの人でも、「幼い子どもがいながら3年間も不倫をしてしまう」という愚行に陥ってしまいました。ここにビジネスパーソンにも通じる成功者ならではの落とし穴を感じてしまうのです。

この日の会見で東出昌大が犯した唯一のミス

東出さんは囲み会見の終盤、今後の仕事に言及しました。「今後の仕事のことは今の私の口からは申し上げられません。ですが、今後生きていくうえで、1日1日を、最善を尽くしていこうと固く思っています」と、自身に仕事を語る資格はなく、「人間としてどう生きていくか」に焦点を当てていることを明かしたのです。このコメントも謝罪の場としては最善と言っていいでしょう。

しかし、質問を続ける記者に、つい本音が漏れてしまいました。「役がある限り、役を全うしたい。今後の仕事のことは申し上げられませんが、1つ1つあるのであれば、その1つ1つが『最後なのではないか』と気概を持ちたい」という意欲や希望を語ってしまったのです。謝罪の場としては蛇足どころかマイナスイメージであり、この日に東出さんが犯した唯一のミスでした。

その後、「今、自分自身にかける言葉はあるか?」と聞かれたときも、東出さんは涙をこらえるような顔で、「『人を裏切らず、最善を尽くして生きろ』と自身に対して思います」とコメントしました。記者は後悔の念を抱かせ、泣かせようとしたものの、東出さんは「謝罪の場では絶対に泣いてはいけない」というセオリーを守るように涙をこらえられたのです。

話し終えて退場しかけた東出さんはふと足を止め、「今後、何かが決まりましたらどのような形かわかりませんが、必ずご報告させていただきます。私の口から言えたことではないのですが、妻と小さな子どもたちのことは静かに見守ってあげてください。本日はありがとうございました」と頭を下げて退場しました。最後まで「『妻子がすべて』という姿勢を貫けた」と言っていいでしょう。

東出さんの会見を見た人々が「人ごとのよう」「はぐらかしていた」などの声をあげ、さらに情報番組の街頭インタビューでは「棒読み」「台本があったのでは?」という酷評もありましたが、これらは正しいのでしょうか。

「人ごとのよう」「はぐらかしていた」ように見えたのは、「相当悪いことをした男」という前提に加えて、もともと東出さんが感情の伝わりにくい話し方をするタイプの人だから。事実、表情の変化や声の抑揚が少ないことは、俳優として演じるときにもしばしば言われてきたことでもあります。

厳しい見方をすれば、この日の会見と俳優としての姿にあまり差が見えなかったのは、「それがありのままの東出昌大さんであり、公私を問わず変わらない」からでしょう。少なくとも、俳優としての技量を批判されても、個人としての人柄を否定されるほどの受け答えではなかったはずです。

「妻が好き」すら言えない心理状態

そんなありのままの振る舞いは、「今、杏さんが好きなのか? 唐田さんが好きなのか?」という耳を疑うような質問を受けたときのコメントにも表れていました。のちにこの質問をしたリポーターが「『妻です』って即答すると思っていた」と語ったように、誰しもそう答えるのが妥当と思うでしょう。

ところが東出さんは、「妻を傷つけてしまう」ことを理由に明言を避けました。「妻です」と言い切ったところで、もともと比較されるレベルの存在ではないだけに、杏さんは選ばれたことにそれほどの喜びは感じないでしょう。

それよりも「じゃあ何で不倫なんてバカなことをしたのよ」と再び傷つけてしまうことを避けた選択は間違っていません。この場面では本心はさておき、「妻です」と言い切るほうが圧倒的に楽であるにもかかわらず、「今の自分はそれすら言う資格がない」「そう言っても妻のダメージになりそう」としか思っていない様子が伝わってきました。

このような受け答えを見て私が驚いたのは、「妻より浮気相手のほうが好きなことがわかった」「考えうる限り、最悪のコメントをした」などと決めつける人の多さ。表面上の言葉や表情しか見ず、自分の価値観を他人にそのまま当てはめる人に、事の本質は見えません。東出さんを擁護する気持ちはありませんが、この日の会見を見て批判の声をあげる人は、他人の家庭問題であることも含め、日ごろの不満や不安をぶつけるものを探しているだけにすぎないのです。

最後に1つ指摘しておきたいのは、記者たちの取材姿勢。記者たちは競い合うように質問を浴びせ、声が重なって聞こえないことも多く、「終了」の言葉も無視して話し続けました。まさに抵抗できない人間に対するサンドバッグ状態であり、「理由があるからやってもいい」というイジメの構図に近いものがあります。

記者たちの中には「このようなさらし者になることが禊につながる」と正当性を示す人もいますが、再生も含めた話し合いをはじめた夫婦の可能性を台なしにしかねない報道姿勢は、どう見てもやりすぎでしょう。

東出さんを叩くことに集中し、杏さんや子どもたちのことをまったく考えない記者たちの報道姿勢は時代錯誤。「個人の尊重が当然」という時代の中、目の前の人間しか見ない記者たちの姿は滑稽にすら見えますし、芸能界の悪しき慣習として今すぐにでも改めるのが望ましいでしょう。

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